彩国年表 杜首1年  初代王・杜首(としゅ)、修嘩大陸北部を統一。国名を彩とする。        3年後崩御。 第2代・鼎昌(ていしょう)、葛野京国王タネツグに親書を渡し、両国の関係が良好化。 鼎昌12年、このころ、ロウテイ島に一時勃興した「ソウシンユウ国」の王・今帰仁元雅(コンキジングンガ)が渡海。鼎昌、これに対し将軍・師恂(シジュン)と鬲歇(カクアツ)を迎撃させ、両将、見事に今帰仁を追い返す。 鼎昌35年、政務の途中に持病が悪化。急死する。 鼎昌36年、後継者争い起こる。鼎昌の長男・沙l(サレン)と、その異母弟・魚仲(ギョチュウ)が戦い、葛野京国と親交があった魚仲が勝利。魚仲王統が始まる。 以降、4代正悦(セイエツ)、5代酉邦粋(シュウホウスイ)、6代繆弘(ビュウコウ)と堅実派な王が即位し、他国との境界線を保ってきた。 しかし、7代(現王)尭宗(ギョウソウ)は、他国に比べて劣った自国の技術を憂い、各国から学者、技術者を招いている。 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ イクフェルカス年表 思想家レミ=デシャンがハーノーン王朝に追放され、辺境の地・クンザーで挙兵。 レミ=デシャンの反乱軍がレミの予想を越えて巨大化。ハーノーン朝は3年で滅亡。レミの死後も軍は解散せず、腹心のシモン=メシアンがハーノーン朝の治めていた土地をそのまま統治した。 80年後、フォルヘス2世の時代に国名をイクフェルカスに改める。 22年後、征服王アメドル7世、エンポルジア大陸を統一。 アメドル7世は、余勢を駆ってフェルナート大陸へ侵攻。クタイラ、ハバエ王国、ティロン共和国などの諸国を征服した。 次代のヴィラトラム1世の代でフェルナート大陸を統一。修嘩大陸の諸国も従属し、その版図は世界最大のものとなった。 以後、15代250年の間栄華を誇り、「最大、最豊の国」と呼ばれた。 没落は、第24代・シェーラン6世(不幸王)の次代から始まる。 シェーランは、即位前から有能の人と周囲に認められており、王座に就いた後も善政に励んでいたが、それを妬んだ兄のアマク=ザーヒルがフェルナート大陸の中部で反乱。シェーランは命からがらエンポルジア北部に脱走することになる。 この反乱は、アマク=ザーヒルの参謀で、野望の士・クロドキャスルが仕組んだと言われ、フェルナートとエンポルジアでは、「国王シェーラン6世死す」の誤報に混乱する。 エンポルジアへの逃亡に成功したシェーランを待っていたのは、アマクに呼応して反乱した貴族・コリナ=メンツの反乱軍と、それを阻止しようとした忠臣・ボレスワフ=ピシュの軍勢だった。シェーランは、アマク=ザーヒルの反乱より、こちらを対処しなくてはならなくなったのである。 ボレスワフ=ピシュの陣営に出てきた「死んだはず」のシェーランを見たコリナ=メンツ軍の士気低下により何とか勝利を収めたが、その損害は多く、とても「軍勢を編成して海を渡り、アマクの軍と戦い、勝利を収める」ような状況では無かった。   急いで国家の再建を計ったシェーランだったが、その最中に危篤に陥り、甥のルアーブルに後を託して亡くなってしまう。 ルアーブルには「国力保持」の能力はあったが、「国家開拓」を成すほどの能力はなく、嵩張る税に各地で反乱。イクフェルカス王朝の国土は、最盛期の6分の1にまで減少してしまう。 ルアーブルはエンポルジア北西の諸王国(反乱国)に自治権を与えて懐柔策を取った。これが効果的であったらしく、諸国とは友好関係が保たれるようになった。 ルアーブルの子・ウーゴ=スルバランは待望の国王と呼ばれ、即位してからも善政を敷いている。 ****************************************************************************************** ミシュラン帝国 イクフェルカス王朝皇太子アマク=ザーヒルがシェーラン6世に反乱。フェルナート大陸中部を制圧し、「シヴォール王国」と称した。 このとき反乱をそそのかしたと言われる(確証は無い)アマクの謀臣クロドキャスルは野望の塊のような人物と言われ、シヴォールの建国1周年の記念式典の最中にアマクを暗殺した。大義名分は 「祖国に反して陛下(シェーラン6世)の殺害を謀り、さらに税を重ねて民衆を苦しめたうえにこのような宴に現をぬかす国賊を討った」 と遺されている。 アマクには血縁が居なかったため、改革実行者のクロドキャスルが一時的な執政官に就任。元老議会(国会)で後継者を決めることとなった。 しかし、クロドキャスルは抜群の政治的・軍事的統率力を発揮。元老議会は彼の「終身独裁官」の役職を認めなければならなくなり、それから3ヶ月後、シヴォール王クロドキャスルが誕生する。 王に上り詰めたクロドキャスルは「王」より自身に相応しい称号を「皇帝」(王を統治する・王の王)とし、国名をシヴォール帝国に改称。その2ヶ月後に出身地のミシュルからとって「ミシュラン帝国」とした。 18年後、クロドキャスル崩御。後継者は次男のアッセンファルトに決定された。アッセンファルトも父ほどではないが優れた統治能力を発揮。国力を飛躍的に向上させ、ミシュランを軍事大国に育て上げた。 アッセンファルト帝は晩年、その強大な軍事力による北方遠征を開始(マクトゥール戦争)。そこにはアマクの乱で本国・イクフェルカスと分断され、各都市ごとに分割統治している都市国家が何国もあった。アッセンファルト率いるミシュラン軍の強さに屈する国家が多かったが、都市国家・ゼームの僭主・ジョット=デラ=ブルーノが「都市国家同盟軍」を組織。諸国家は飛びつくように参加した。 この連合軍にアッセンフェルト帝は大苦戦を強いられる。それと言うのも、連合軍の指揮官には当時名将の誉れ高い将軍が両手の数ほどいたためである。 都市国家・サンゼの武将・「槍聖」ヴィスボルグ=フロレル、 都市国家・ウェーベルの領主・「粉砕公爵」ミラーン=カウスネン、 都市国家・レポーの傭兵隊長・「尖騎士」デュボア、 都市国家・ユネールの兵法家・「無傷指揮官」カリメル などが代表格だが、ミシュラン軍は ヴィスボルグの突撃→デュボアの第2波突撃→ミラーン鉄兵団の突撃→カリメル指揮の掃討戦 のパターンで次々と敗走を重ねていった。 遂にアッセンフェルト帝の第1師団が全滅。ミシュランは全軍撤退するが、退却の最中、連合軍の名将・アセルマールの「俊影騎士団」に追いつかれてアセンフェルト帝が戦死。ミシュランの遠征軍12万は全滅した。連合軍の兵力は4万に満たなかったという。 それが王宮に届いたころには、先見の明がある大臣・ミネイウムが王権交代の準備を始めており、次の皇帝・マシウムが即位したのは、なんとアッセンフェルト帝戦死の5日後だった。 マシウム帝は「保守派」の人物であり、特に目立った功績は無いが、治世23年間、国家財政は赤字にならなかった。 それに関しては次代・クブクール帝も同じといえる。 現皇帝ポルトグレンだが、先代・クブクール帝の後、即位して1年で都をアルクダートに遷し、近年、恐怖政治を開始したらしい。